はじめに
 

 1995(平成7)年3月、歌志内市の空知炭鉱が閉山を迎えた。1879(明治12)年に幌内炭鉱(三笠市)が開坑して以来、100年以上にわたって日本の成長を支え続けた石狩炭田から坑内掘りの炭鉱が姿を消した瞬間であった。空知管内には、夕張市をはじめ、三笠市、赤平市、芦別市、歌志内市、上砂川町など、石炭産業をほぼ唯一の基幹産業として繁栄した町が多い。最盛期の1960(昭和35)年には82万人が暮らしていた空知管内も、相次ぐ炭鉱の閉山や合理化によって人口が大幅に減少し、空知炭鉱が閉山した1995(平成7)年には40万人と、最盛期の半分以下にまで減少した。

 石狩炭田から坑内掘りの炭鉱が姿を消して早くも9年が経過した。旧産炭地域であった空知の自治体は、人口の減少と住民の高齢化、さらには慢性的な財政難に頭を悩ませている。かつて、「炭都」とよばれた夕張市は、最盛期の1960(昭和35)年には17の炭鉱があり、10万人を越える人が生活していたが、2001(平成14)年には人口およそ1万4千人、そのうち36%は65歳以上の高齢者である。今や全国ブランドとなった「夕張メロン」の栽培や国際映画祭の開催など、さまざまな振興策が実施されたが、未だに人口の減少に歯止めがかかることはない。

 一方で、旧炭鉱施設を「産業遺産」として活用しようという動きも進められている。北海道空知支庁では、1998(平成10)年度から「そらち・炭鉱の記憶推進事業」が進められ、空知管内に残る198箇所の産業遺産について調査が行われている。2002(平成14)年に空知管内の炭鉱関連施設群が北海道遺産に選定されたこともあり、旧炭鉱施設は多くの人の注目を浴びるようになった。しかしながら、炭鉱が閉山してかなりの時間が経過している今、炭鉱の記憶は着実に失われつつあることは否めない。

 今回の研究では、空知管内の上砂川町をとり上げ、文献の精読、現地調査、新旧地形図の比較、聞き取り調査を行い、石炭産業がいかに町の形成に影響を与えたか調査し、炭鉱閉山後のまちづくりついて研究することを目的としている。

 

目次
  1、上砂川町の概要
  2、上砂川町の歴史
  3、炭鉱閉山後の取り組み[NEW]
  4、上砂川町の土地利用とその変化  
  5、先進地事例−北海道赤平市 [NEW]
  6、研究成果とまとめ