現在の上砂川の風景を撮影してみました

 

朝駒改良住宅

炭鉱に勤める従業員のための住宅が所狭しと並んでいた朝陽台地区と駒が台地区の風貌は一変した。朝陽台地区には近代的な住宅や集会所、公園などが建設された。一方、駒が台地区は工業用地となり、数社の工場が操業する「工業団地」となった。なお、現在では、朝陽台も駒が台も、もともと通称として使われていた「朝駒」という地名で統一されている。

本町の炭鉱住宅跡

炭鉱の中枢機能が集中していた本町地区には炭鉱住宅も数多く建設されていた。戦後、近代的な3階建てのアパートが建設された。現在、赤い屋根が印象的だったアパートはすべて撤去され、炭鉱が華やかだった頃の面影はない。

東山団地

炭鉱職員向けの炭鉱住宅が数多く立ち並んでいた東山地区は、炭鉱の閉山後、住民が1人もいなくなった時期があった。まさに「廃墟」だけが残った。1995(平成7)年から東山の再開発が始まり、廃墟となった住宅を撤去し、分譲団地の造成と老人用のケア付き住宅を建設した。東山と東町には、現在でもかすかに産業遺跡が残されている。

東町改良住宅

炭鉱が閉山する直前、旧来の炭鉱住宅を取り壊して建設された。炭鉱が閉山し、本町や東山が廃墟同然になると、東町だけが炭鉱があったときと変わらない風景で残っていた。周辺には公衆浴場が1つあるだけで商店などはないが、バスが1時間に1本程度運行されているため、現在でも多くの人が住んでいる。

中町工業団地

中町も炭鉱住宅が多かった地区である。炭鉱住宅がなくなった現在では、少ない平地に数社の工場が操業しており、炭鉱を失ったあとの上砂川の産業を支えているが、工場のどれも規模は小さく、経営基盤が弱い企業も少なくない。また、道道を境として、東側に工業団地が造成され、西側には分譲住宅が広がっている。